大阪城天守

OSAKA CASTLE + 3rd MAIN TOWER

大阪城

時代をまたぐ、なにわの大名城。

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OVERVIEW

作品概要

大阪府大阪市に築かれた近世城郭・大阪城は豊臣家と徳川家両方にまつわる著名な和風城であり、
江戸時代を通して城下町とともに栄えました。
現在の大阪城は元和6年(1620年)徳川秀忠の命によって築城が開始。
金鯱を戴く壮麗な天守閣と壮大な区画を備え、日本を代表する名城の一つとして知られています。

HISTORY

大阪城および昭和期の復興天守閣について

大阪城(大坂城)は、豊臣家および徳川家によって築かれた近世城郭です。 かつてこの地には豊臣家の大坂城が存在していましたが、大坂冬の陣・大坂夏の陣によって壊滅しました。 のちの元和6年(1620年)江戸幕府は豊臣家の遺構を完全に覆い隠し、その上で数倍のスケールを誇る圧倒的な城郭を構築。 現在私たちが見れる天守台や壮大な石垣、二重の堀や櫓群のほぼすべてが、この徳川家による再編事業によって築かれたものになります。

内堀・外堀を巡らせた壮大な区画は非常に美しく、西国大名への威圧と西日本の統治拠点としての機能を極限まで高めた威容を誇ります。
徳川期大坂城に建てられた天守は二種。 最初に建てられた徳川期天守は五重五階地下一階の独立式層塔型天守でした。江戸城元和度天守を移築したとも伝えられ、2代将軍・徳川秀忠の命により1626年に完成しました。豊臣秀吉が築いた初代天守とは異なり、白漆喰壁が基調の整った外観をしています。わずか39年後の1665年に落雷で焼失して以来、江戸時代を通じて再建されることはありませんでした。

その後、昭和6年(1931年)に市民からの莫大な寄付金(事業費約150万円)によって、日本初の鉄筋コンクリート造復興天守閣が建てられます。
大坂の陣に描かれた望楼型五重八階(外観五重・内部八階)の構造を採用し、外観は徳川時代の白漆喰壁・青銅瓦を基調としながらも、最上層には豊臣時代を想起させる黒漆塗りに伏虎や金箔押し鶴の装飾をあしらうという、歴史的様式を折衷した独特のデザインが採用されました。
(このデザインになった実情は、今見えているものがすべて徳川時代のもので豊臣家のものは地中に埋まっているという事実が発見されていなかったからのようです。もう少し早く徳川時代の図面やその事実に当時の人たちが気づいていたら、今ここに建つ天守は完全に徳川時代の復元天守だったかもしれません。)

太平洋戦争末期の大阪大空襲では奇跡的に焼失を免れ、平成の「平成大改修」を経て耐震補強やエレベーター設置などの近代的な刷新が行われました。現在は内部が最新の歴史博物館として公開されるとともに、国指定の登録有形文化財となっています。園内に現存する大手門や多聞櫓、千貫櫓などの重要文化財群とあいまって、豊臣・徳川・近代という三つの時代が交錯する類まれな名城として国内外から人々を魅了し続けています。

本作品では、現在公開されている三代目大阪城天守を制作対象とし、 現地調査や史料、写真資料をもとにリアルなマイクラ和風建築として立体化しました。

GALLERY

展示写真